日本は、
大東亜戦争(支那&太平洋戦線)を遂行するにあたって、「アジア解放戦争」のスローガンを唱えました。このスローガンの是非を巡り、現代日本では意見が分かれていますよね。そこで、私もこの議論に乗っかって、私個人の意見を少しだけ書いてみようと思います。まず、いくつかポイントを挙げて要点を纏めてみます。
<「アジア解放戦争」の時代背景を考える>1. 誰がどの立場から意見を述べるのかを考える2. 欧米列強による激しい人種差別を考える3. 非白人軍事独立国家としての日本を考える4. 東南アジアの複雑な立場を考える以上の4点を、私なりに長ったらしく書いてみますね。
1. 誰がどの立場から意見を述べるのかを考える歴史を語る際にまず考えなければならないのは、
誰がどの立場から意見を述べているのかだと思います。それによって語られる内容は随分違ってくるはずです。私の場合は、親戚に東南アジアに出征して戦死した日本兵と、満洲で貿易関係の仕事をしていた会社員がいます。私は彼らについての話を聞きながら育ちましたので、どうしても日本兵と満洲で過ごした邦人は贔屓してしまいます。
一方、同じ日本人でも、例えば戦前・戦中に社会主義に憧れた親戚を持つ人、元連合国側の国々出身の親戚を持つ人、外国で生まれ育った帰国子女、などは全く違う視点を持っているはずです。私と彼らとでは今まで触れてきた言語・文化・宗教・史料・遺品などが違うので、話が噛み合わないことも多いでしょう。日本人相手ですらこうなので、外国人相手に日本政府と日本軍の立場を説明するのは困難になります。
触れてきた言語・文化・宗教・史料・遺品などの違いで私が思い出すのは、かつてあるアメリカ人男性とメールで行ったプチ論争です。彼は
捕虜(POWs)に大変な思い入れがあるそうで、日本軍の管轄下にあった収容所を語る際に厳しい論調を用いることも多く、「cruel」「harsh」「brutal」の3つの単語をしばしば使用しました。そして、「私が今まで読んできた本にはそう書いてあったのだ、事実だ」と主張したのです。
それを見た私はすぐに
、「それらの本はどの言語で書かれていましたか、あなたの母国語は何語ですか、本に出てくる捕虜のお国はどこですか」と聞き返しました。すると、即座に
「私はアメリカ人で、もちろん母国語は英語だ。今までアメリカ人とイギリス人の捕虜の悲劇と日本軍の残虐性が書かれた本をたくさん読んできたのだ」と返ってきました。
これに対して私は「捕虜になった兵士は大変辛い思いをしたのでしょう。理解出来ます」と書いた後、「しかし、日本語を話し、日本語で書かれた本を読んできた私にとっては、日本軍は特別酷い存在だとは思えないのです」と続けました。そして、私が今まで読んだ本や資料にはアメリカ軍、イギリス軍、オランダ軍、ソ連軍の残虐性がこれでもかと書いてあったことを遠まわしに伝えました。
そこまで書いて、彼もやっと
「敵を悪く書くのは当たり前だ」と気付いたらしく、メールの論調が落ち着きました。ちなみに、その後分かったことですが、どうやら彼は私をハワイ暮らしの日系アメリカ人だと勘違いしていたらしく(何故ハワイなのかは不明)、メールが厳しい論調だったのは「日系アメリカ人なのに収容所に入れられた人間の痛みを分かろうとしない!」と反発したのが理由だったそうです。
アメリカ人は英語を読み書きする人を「アメリカ人だろう」とつい考えてしまうことがあると聞いたことがありますが、それがまさか私の身に起こるとは思いもしませんでした。(どう見ても日本人が書いた下手くそな英語だったのに。最初のメールで「BTW」を使ったのが原因でアメリカ人だと思われたのかも)
2. 欧米列強による激しい人種差別を考える次に、
人種差別について考えてみます。多くの日本人が知っている通り、戦前・戦中は人種差別を禁じる法はなく、人種差別は当たり前のことだと考えられていました。植民地にならなかった日本は世界に向けて人種差別の撤廃を訴え続けました。
1919年のパリ講和会議の席では「人種的差別撤廃提案」も行われました(残念ながら最終的に「否決」されてしまいましたが)。
「東インド」の概念を引き継ぐ「アジア(地域)」の植民地では、宗主国の監視の目が届かないために支配層が好き勝手なことを出来る状況にありました。白人支配層と華僑・印僑の中間層は被支配層の東南アジアの諸民族を奴隷のように扱い、そうした状況を誰も表だって止められなくなっていました。日本はこのような酷い人種差別に大変心を痛めたのです。
「人種的差別撤廃提案」の背景には日本人への差別も関係しています。世界中に散らばった
日系移民は誇り高く、特に教育などにおいて白人と対等の扱いを求めることがしばしばあったため、白人に警戒され、迫害されることが多くありました(「猿の惑星」は日本人がモデル)。日系移民は礼儀正しく、勤勉で、感情的になって周囲に当たり散らすこともない立派な人々でしたが、それが裏目に出ることも多かったそうです。
日本だと感情の抑制は一人前の人間として当たり前のことですが、海外ではそうした態度は時折「気味が悪い」ものに見えるようで、戦前から現在まで定期的に揶揄され続けてきました。特に、日本人の言い回しとして有名だった
「どうも(すみません)」は、お辞儀と共にネタにしやすいものだったようです。バブル経済真っ盛りの1983年に発表された
「Mr. Roboto」には、彼らのそんな日本人観がよく出ています。
誠実な日系移民の苦しみと、日系差別を含む人種差別を必死で解消しようとした日本政府の動きが理解されず、右往左往する内に白人国家の反感を買い、戦争の遠因になってしまったことは本当に残念です。
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